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2015.05.14

どんな写真がいい写真?

ちょっと今日は暑い。

いい写真、上手い写真の定義って難しいと思うのだけど、個人的には何度も見たくなるとかって大事だと思ってる。どこかに飾りたくなるとか(それって「何度も見たくなる」というのと近いけど)。

あと、自分の中のルールみたいなものもあって、私の中では「水平なものは水平に、垂直なものは垂直に」というのがかなり重要なので、この写真みたいにピシーっピシーっと決まると「良し!」と思う。バランスが悪いと見ていて落ち着かない。無難になり過ぎる時もあるかもしれないけど、綺麗にピシッとなっているのが好きなのです。

国立演芸場の近くにて。
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ちなみにトリミングは無で。撮った写真でどうしても載せたい「でもここが」ってのもたまにはあるけど、基本的にはトリミング無でそのまま成立するのが大事ではないかと、当たり前の事かもしれないけども。

2015.05.12

新しいカメラが欲しい

新しいカメラを買うのを悩んでる時の楽しさといったら。

普段はGR IVを持ち歩いている。小さいので鞄の隙間にすっと入るし、でこぼこが少ないから取り出しやすい、広角だけど何せ寄れるので、「もっと!」という時はグッと寄れば画面いっぱいに撮りたいものが入る。ビシッと写ると本当に綺麗だし、すごく使い勝手がいい。

でも、どうしても前に寄れない状況とか光量が足りない所ではもどかしい思いをする事があって。ここは一発新しいカメラを買おうかしら…なんて思い、散々悩んで「RX100にしよう!」とほぼ決定したところで、キヤノンから50mmの新しいのが出ると。おおぅ…欲しい。60Dには曰く「撒き餌レンズ」と呼ばれてる「EF50mm F1.8 II」を今使っているのだけど、それのリニューアル版の「EF50mm F1.8 STM」が今アマゾンで見たら16000円ですって…、欲しい。

RX100を買ってこれも買うってのは贅沢なのでどちらかにしたい。って、どちらかは買う気かよと。新しいカメラを買えば写真が上手くなるわけじゃないけど、たまに新しいレンズ、新しい機種を足すと気持ちが変わったり目線が変わるし、「おニュウ!」って気分がワクワクするのは単純に楽しいですし。悩みどころ。

ともあれ「写真を撮りに行く!」と気合を入れてどこかに撮りに行くのも楽しいけれど、毎日普段の生活の中で「あ」と思う場面を綺麗に撮れたらいいなって思う。
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2015.05.09

5/9「落語芸術協会上席」@新宿末広亭

新真打お披露目興行!

小遊三「替り目」
~仲入~
口上(上手から) 小遊三・茶楽・小柳枝・小柳・小夢・夢丸・夢太朗・柳橋・夢花(司会)
小夢「壺算」
小柳「新聞記事」
夢花「アドバルーン」
小柳枝「たがや」
ボンボンブラザース
夢丸「くしゃみ講釈」

一階はいっぱい、二階も開いて大入り。

夢花さんの司会が随分しっかりしてた。何か回りの師匠方が変な事を言う度に小柳さんがチラ見するのが可愛い。小柳枝師匠が自分の弟子の話をしながらも「小夢さんと夢丸さんが…」と名前を出した事に妙にほっとした。口上での定番「新真打がトリをとっている時に帰ると…」の話の際も、

小遊三「後ろから小柳さんの手裏剣が飛んできますんで」
小柳(チラッ)

小夢さんが上がった時に最初マイクが入っていなかったようで、途中で急にマイクオン。私は二階にいたけどマイクが無くてもちゃんと聞こえてた。あーマイクなくても全然大丈夫なんだなあって妙に感心。夢花さんは「アドバルーン」という話。これは金語楼師匠が作ったものらしくて、という事はそれなりに古い噺なのだろうけど、あのドタバタした感じが夢花さんに似合っていて(そしてあまり古臭い感じもしなくて)面白かった。夢花さんもあんまり他の人がかけないような噺をやったりするような印象。お顔を見るたびに、もう何年も前のお披露目興行の時に「栓抜きみたいな顔」って言われていたのを今だに思い出す。言ったのは確か小遊三師匠。

小柳枝師匠は定番のまくらを色々ふって「たがや」。小柳枝師匠のあの早口でとんとんとーんと進むのを聴いているといい気分。師匠の「たがや」や「青菜」を聞くと「ああ、夏もすぐそこなんだなあ」って思う。他の人でも勿論季節ものをかけているとそう思うけど、自分は小柳枝師匠だと特にひしひしと感じる。

ボンボンさんの時にまさかのハプニング。結局花を一つ分片づける。あんな事は初めて見た、寄席は色々ある。

トリで夢丸さんが出て来たら迎手が鳴りやまない、夢丸さんが真打になったのをお祝いする気持ちがあの拍手の長さななんだよね。鳴りやまない拍手の中「もうそろそろしゃべらせてもらってもいいでしょうか?」で高座開始。そして案の定その花ネタを突っ込んでた。ネタは「くしゃみ講釈」。嫌味な所がなくて、ただただ楽しく聞ける。もういいお年なのに(年食ってるというより立派な成人男性だねって意味での「いいお年」)あの「僕ちゃん感」がすごいなって思った。あのままおじいちゃんになりそう。

お披露目は5/11~20浅草演芸ホール昼、6/11~20池袋演芸場夜と続くので、おめでたい高座を是非に。

5/9(土)「本牧講談会」@とんかつ武蔵野

上野で開催するのも今月いっぱい。

いちか「臆病侍(だったかな)」
梅湯「無心は強い」
天歌「(極道が人手不足で…って話)」
~中入り~
一乃「明智左馬之助 湖水渡り」
鶴遊「遠藤実物語」

まだ前座デビューをして一年も経っていないのに、いつもすごくしっかりしているいちかさんが今日は珍しく「およよ?」って事に。梅湯さんが先日の独演会の事とか次回(7/20)とか次々会(9/1)の事とか。梅湯さんもちょっと集中力に欠けてるかな?って印象。

チラシには書いていなかったけど天歌さんも登場。高座の脇にちょこんと置いてある包が気になる。と思っていたら話の中で使う小道具だった。顔の感じが歌之介師匠に似てる。一乃さんはまくらほとんど無で湖水渡り。何を言っているのか一回目では理解できなかったりもするのだけど、やっぱりこういう軍談いいなって思う。一乃さんの声って結構独特(私は好きなタイプ)だなってあらためて。

トリの鶴遊先生。「この会はいつも何が起こるかわからなくて…」というまくらをふっていたたら「あ、今めくりが到着しました!」とここでめくりをセットする。確かに何が起こるか分からない、ゆるい。ついこの前までお披露目興行をやっていて、「それにも来てくださったあの人とかあの人が今日は来てくれるかもしれないから、あれもやれないこれもやれないと色々考えて、最近あまりかけていなかった話を…」と「遠藤実物語」を。この話は一鶴先生と「いつか二人の大作曲家の会が出来たらいいね」と話していたネタだそうで(因みに一鶴先生は「古賀政男物語」)。

作曲家の遠藤実氏が生まれてから売れっ子になる位までの若かりし頃の部分。物語としては一人の男の子が色んな事に悩みながらも「歌謡曲に携わりたい」という気持ちで一躍売れっ子作曲家になっていくという成功談なので、もっとハッピー感があふれてもいいのかもしれないのだけど、鶴遊先生が読むと全編にわたって切なさとか哀しさというか抒情的な印象の方が強く感じる。実少年が母を思う心がいじらしくて哀しい。芝居っぽい演出はなしでグイグイ引っ張っていって、いつの間にかすっかり話に取り込まれちゃう鶴遊先生の高座。カッコイイ。

鶴遊先生は小さい頃から一鶴先生の元に通っていたけど、それを差し引いても関係が密だったんだろうなって感じる。師匠と弟子で「期待」と「尊敬」という所で相思相愛だったのかなあって。鶴遊先生が一鶴先生の話をする度に、回りの人が二人の事を話すのを聞く度になんとなくそんな事を思うのでした。

2015.05.06

5/6(水)「十条シネカフェ寄席」@シネカフェ・ソト

初十条。

小痴楽「湯屋番」
遊喜「らくだ」
~中入り~
小助六「猫忠」

十条駅から歩いてすぐ、中は高座&客席スペースは高座の後ろにスクリーンがあり。天井が高いからかそんな広い訳ではないけど窮屈感がなくて良い感じ。普段カフェとして営業しているらしく、この日もいなりずしとかカレーがあって美味しそう。

小助六さんはまくらがちょっと迷走してる風、そして随分事細かに猫ネタ。猫好きなのに猫アレルギーとか、猫さんの事を「三女が…って気持ち悪いですよね三女って」とか。猫忠かな、あれ変えるのかな、やっぱり猫忠かって感じで「猫忠」。演芸ファンが「同じ話でも何度聞いても面白い」っていうのは、あれ多分半分位強がりで言ってると思うのだけど(*1)、小助六さんのこの噺は何度聞いても楽しめる。

二人の男が会話している場面が多いのだけど、片方(兄貴分)は本気で怒ってる風でも片方(ちょと弟分?)は実は全然本気で怒ってるぽくなくて、なんだかんだいってずっとふざけてるというか、調子が軽い。そのやり取りが軽くて気が利いていて楽しい。こういう「バカバカしい二人のやり取り」とか小助六さん本当によく似合う。「のどが渇くほど涎を垂らして…」なんて台詞、いいなって思う訳です。

三人で一人一席ずつだったけど、小痴楽さんは先日行った沖縄旅行の事をまくらでたっぷり、遊喜さんは「らくだ」をフルバージョンでという2時間みっしりの会だった。

*1:強がりというか「自分が好きな噺家さんの好きな噺なら」もしくは「すごく面白い人のなら」という条件付きだと思う訳で。「どこの誰がやっても『まんじゅう怖い』って本当に面白いよね」って人は、あんまりいないのではないかなと。でも「同じ噺を何度聞いても楽しめるのが落語」という所を崩したくないし(条件付きではあっても確かにそういう面もあるので)、「同じ噺ばっかりって飽きるよねー」というのは落語ファン的になんとなく「言っちゃいけない」感じがしなくもないので、そんな風にいうのかなって思うのでした。

なんで「言っちゃいけない」感じなのかは、長くなるのでまた今度。

そうそう、なんだか不思議な毛氈の引き方をしているなって思ってて、足りなかったのかな?いやでも折ってあるように見えるから足りない訳じゃなさそう、なんだろ、と。そしたら途中遊喜さんだったかな「これは鯉八さんが『オシャレだろ』という事でわざとしてある」との説明。そう来たか!と思った。

刮目せよ、これが鯉八的オシャレだ!
Photo


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